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POLICY(ポリシー)- 想い

まなざしが変われば、子育てが変わる、人生が変わる、社会が変わる”

まなざし

イソップ物語に旅人のコートを脱がせる競争をする“北風と太陽”のお話があるのをご存知の方も多いと思います。手にしている武器を捨て重たい鎧を脱がせられるのは、北風ではなく太陽だというストーリーはあまりにも有名です。
もし太陽のような温かさと優しい“まなざし”がもっと世間に増えたなら、私たち自身の“いのち”は身を守るために身に着けた鎧を脱ぎ、本来の自分の姿を取り戻し、自然に生き生きと輝き出すのではないでしょうか。
また“嘘つきは泥棒の始まり”という言葉が昔からありますが、素直な子供がいつ頃からどうして嘘をつくようになるのでしょうか。大半は親や周りの大人から怒られないようにという理由で嘘をつくことが多いようです。「行動は環境の産物」という言葉があります。怒られなければ嘘をつく必要はないのです。確かに人の道に外れることをしたのならば、大人として善悪の判断を教えなければなりません。でも必要以上に大きな声でののしったり手を上げたり体罰をする必要はないのです。でも実際には子どもを巡る悲しい事件は後を断ちません。子どもを怒る理由は本当にその子どもの言動だけなのでしょうか。その背景に他の問題はなかったのでしょうか。児童虐待するお母さんの多くは、自分も過去に虐待を受け、十分な親の愛情を受けられなかったケースが多いというのもこれまた悲しい現実です。

人の悪口を言ったり誰かを傷付けたり、悪いことをしてしまったら、誰でも良心がある限りその行動を後悔し自分を責めたりします。中には素直に自分の非を認められない人、謝れない人がいますが、行動に表れなくても、本当は心の中では、同じように思っているのではないでしょうか。もしかしたら素直になれない理由が他にあるのかもしれません。
このように何事にも理由があります。表面だけで判断するのではなく、その理由や事情を思いやる・赦す・信じる・待つ・そんな温かさと優しいまなざしを持てたらどんなに素敵なことでしょう。
そして、世間の、一人ひとりのまなざしが優しいまなざしになってくれたら、悲しい出来事も減り、楽しい気持ちで子育ができ、幸せな人生や社会につながっていくのではないでしょうか。

 

赦すということ

私達は日常生活の中で無意識に人を傷つけたり、知らず知らずの内に迷惑を掛けたりしながら生きてきています。それ以上に、自分で認識しているだけでも、たくさんの人を傷つけ、迷惑を掛けてきていると思います。
でもそもそも人間は他に迷惑を掛けないで生きていくのは不可能なことなのです。
自然の中で、すべてを自給自足している人でさえも、“いのち”を頂き、自然の恵みの恩恵を受けて生きているのですから。ましてや人間社会で人と関わり合いながら生きていくには、傷つけ迷惑を掛けることは避けられません。
それならば責め裁き、憎しみ合って生きていくより、皆で赦し合って、助けあい生きていく方が幸せになれるのではないのでしょうか。
この世に生きている限り、命やかかわりは永遠です。
とはいえ、頭で赦そうと思っても感情は別です。怒りまではいかなくても、イライラし不平・不満を感じ、愚痴を溢してこそ人間です。でもそんな自分を責めず嫌わず自分をどこまで赦せるか、優しくなれるか楽しんでみてください。

 

感謝

感謝は一番大切なことであり、人生の中において一番の課題であるような気がします。
全てが当たり前のことだと思っていたり、誰の助けも借りず自分一人の力で生きていると思っていたりすると、なかなか感謝の気持ちにはなれません。
よく考えてみれば空気・水・太陽など自然のお蔭で、自分がこうして生きていられるのです。また、生んで育ててくれた両親あっての自分であり、周りの人たちの支えがあっての自分の生活です。
しかし頭では分かっているのですが、理屈では感謝の気持ちが起きるものではありません。
今まで気付かなかった周りのやさしさに気付いた時、どん底に落ちた時、初めて感謝の気持ちが湧いてくるのかもしれません。感謝の気持ちが強くなればなるほど、愚痴や不平・不満もなくなり、もっと謙虚にもっと優しくなれ、もっと幸せになれるのかもしれません。

そして「世の中に無駄なものはない。無駄と思うのは、自分がそこから、学べていないだけ」。という言葉にある通り、失敗や病気・いらいらさせられる人からも学ぶことが出来ます。全てに“ありがとう”と感謝できるようになれたらどんなに毎日が光輝くことでしょう。何よりもこの世に生まれてきたことに、両親に「命をありがとう!」大きな声で言えるようになりたいものです。

マザーアースコンサート実行委員会